院長 後藤 崇志
血液型:AB
出 身:宮城県仙台市(出生)→東京都(幼少期)→広島(5歳~)
好きな食べ物:あんこ、ワイン(最近飲めるようになりました)
最近ハマっていること:高校時代に聞いてた音楽を聞くこと
(エアロスミスとかガンズ&ローゼスetc…)
ご挨拶
はじめまして、院長の後藤崇志です。
私は1980年7月、福岡出身の父と仙台出身の母の間に長男として生まれました。
3歳下の弟がいます。父の仕事の都合で5歳の時に広島に移住し、地元西区で育ちました。
子供の頃は体を動かして遊ぶことが大好きで、小学校の体育の授業で初めて体験したサッカーで初めてゴールを決めた瞬間の喜びを今でも覚えています。
それをきっかけにクラブ活動に参加し、中学では体も大きく足も速くなり、DFとしてレギュラーに選ばれるまでになりました。
音楽も好きで、高校時代にはバンドを組み、ドラムを担当しながら青春を謳歌しました。そして大学では、将来の伴侶となる素敵な女性と出会うことができました。
充実した青春を送ることができたのも、すべて両親の愛情と支えがあったからこそです。私はそのことにとても感謝しています。
しかし、20歳を過ぎた頃、私の人生を大きく変える出来事が起こりました。
網膜の疾患でした。突然の視力低下と視覚障害、失明のリスクを伴う進行性の病気に将来への不安を感じ、とても落ち込みました。
特に母の受けたショックは大きく、あんなに慌てふためく姿を見たのは初めてでした。
それでも、この困難が私に新たな可能性を示してくれました。
日本には古くから盲人が手技や鍼灸の施術を生業として活躍しており、その伝統は今も受け継がれています。視覚障害者でも働ける鍼灸の世界に興味を持った私は、盲学校の鍼灸科に進学し、3年間の学びと生活を通じて様々な視覚障害のある人たちと出会い、彼らから多くのことを教わりました。
幸いにも病気の進行度は緩やかで、これまで通りの方法で勉学に励むことができ、国家試験に一発合格。国家資格を取得し、就職することができました。そして、私の視覚障害を理解し、学生時代から献身的に支えてくれた妻と結婚しました。
仕事にも恵まれ、治療院や医療機関、高齢者施設などで勤務し、多くの経験を積みました。中でも母校である盲学校鍼灸科での勤務経験は非常に貴重でした。
視覚障害と一口に言っても、その程度や見え方は人それぞれです。そこで「相手の立場に立って考える」ことの重要性を学びました。
2人の子供にも恵まれ、公私ともに充実した日々を送っていた矢先、両親の突然の難病と死を経験し、人生の尊さを改めて感じました。
「もっと自分のやりたいことをやろう」と決意し、学校を退職して独立を果たしました。
出張施術を主とし、市内を回りながら治療活動を行ってきましたが、新型コロナウイルスの流行により社会が大きく変化し、仕事が思うようにできないもどかしさもありました。それでも、多くの人々の支えを受け、この困難を乗り越えてきました。
そして、地元の人々の支えに応えるため、安心で安全な治療を提供する自分の治療院を開業しました。
これからも、多くの方々に寄り添い、心を込めて治療を提供していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。